神戸阪急のデパ地下にお買い物があって寄ったら、辻利が目に入ってしまった。”緑茶や抹茶は喉の殺菌効果があって感染症予防になる”と何かで言っていたので、お抹茶は美味しいしそれで効果があるのなら、そりゃ飲むし食べるよね〜♡という事で、お抹茶セットをいただきました。

“年頃になったらお茶のお作法とお着物の着付けくらいはしっかり身に付けておかないといけません。”と言う母の考えの元、19歳の時から強制的に習いに行かされたのですが、きちんと母の言う事を聞いてそれらを身に付けている姉や妹とは違い、お作法を身につける前にサボり癖を身につけ、しれっとフェイドアウトした私。

とてもお上品でありながら、きりっとした佇まい。ご高齢なのを感じさせないピン!とした姿勢と美しい先生の動き。そしてとても趣きのある茅葺き屋根の立派なお宅のお茶室。そんな素晴らしい環境で教えてもらえる機会をいただいていたというのに数回でドロップアウト。「本当にあなたって子は…。」と、母がボヤいた言葉そのままを今となっては自分自身に投げかけたい、とたまに思う。

でもその頃は授業終わりにほぼ毎日のように入っていたお洋服屋さんでのアルバイトが楽しかったし、お給料が入ったら新しいお洋服を買ってクラブクアトロやファンダンゴに行き、好きな音楽を聴いて友達と遊んでいる事の方がその時の私にとってはお茶のお作法や着付けを身に付けることよりも重要で大切だった。実際にそれがあって、今の私がある。

30年の年月を経て、自分でお着物を着て美しいお手前で美味しいお茶を点てる事ができる、そんな優雅で余裕のある大人がどんなに粋でかっこいいか、思い知ることとなる。

母や姉が、1人でささっとお着物を着てお茶会に行ったり能を観に行ったりしているのを見ると、あぁ私って…と床に頭がつきそうなくらい、うなだれてしまう。お琴の先生をしている母の影響でお琴も習っていたけれど、これも長続きしなかった。かれこれ35年ほどお琴には触れていないけど、さくらさくら位ならまだ弾けるかな…。

そんな私が唯一続いたのが書道だ。幼稚園児の頃から高校3年生まで続いた。週に一度、正座をして真っ白の半紙に向かうその時間はとても大好きな時間だった。

これは高校生の時に書いて何かの賞を貰った物。私の身長よりも高く、2mはある。母が「記念に」と掛軸にして持たせてくれた。ここも、あそこも、と書き直したくなる箇所がいっぱい目について見るといらいらしちゃうので、せっかく掛軸にしてくれたけれど、掛けて飾った事はまだ一度もない。先日、お雛様を飾ろうと思ってゴソゴソ探していたら出てきたので、20数年ぶりに掛けて眺めて見た。あぁやっぱり、特に「や」の一筆目と「庭」の二筆目の、のっぺりして筆がねてしまっている所を書き直したいし、「月見草」はもっとしっかり墨を付けて、かすれた所と強弱をつけたい。

1枚800円〜1500円もする金粉入りでの清書は緊張して全然上手く書けなかった。練習用の安い半紙ではもっとのびのびと上手に書けていたのに。これを書いた17歳の時とは違って、今なら心臓に太い毛も生えて、ビビらずもう少しのびのびと書ける気がする。

これは母の高校からの親友であり陶芸家でもある、私が幼い頃からお世話になっている方の作品。高価な物だし、お気に入りで大切にしすぎて仕舞い込んでしまっていたのですが、今日からは普段使いをして毎日のようにお抹茶をたて、素敵な大人に少しでも近づけるように精進していきたいなと思います。

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